法華経を生きる (幻冬舎文庫)のレビュー
信仰と哲学する
この本では石原氏が、自身の体験や経験を踏まえて感じたことを在家主義の仏教的観点から考察を勧めている。
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静
本来仏教を論ずるのであれば自らの主体をどこかで捨てる作業の必要性が出てくる
そのことが無我の境地へ至るプロセスである
キリスト教でも創造主である絶対神に対する原罪を人間は背負って生きている
しかし、作者は「信仰を哲学する」という手法で、主体を放棄せずに人間の「存在と時間を哲学する」ことで実相へ至る道を解明することに挑んでいる お坊さんに下駄を預けないで、自分で考えろというメッセージを投げかけている
釈迦は思想家ではなく、釈迦自身が悟ったことを己の人生を掛けて実践した者であり、我々と同じ人間であるという観点である
絶対性に帰依することはどこか依存的になりがちであるが、「我思う、故に我有り」的に自分=主体性をしっかり見つめて、実存的に思考をすることが大切なポイントであると感じさせられた
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静
本来仏教を論ずるのであれば自らの主体をどこかで捨てる作業の必要性が出てくる
そのことが無我の境地へ至るプロセスである
キリスト教でも創造主である絶対神に対する原罪を人間は背負って生きている
しかし、作者は「信仰を哲学する」という手法で、主体を放棄せずに人間の「存在と時間を哲学する」ことで実相へ至る道を解明することに挑んでいる お坊さんに下駄を預けないで、自分で考えろというメッセージを投げかけている
釈迦は思想家ではなく、釈迦自身が悟ったことを己の人生を掛けて実践した者であり、我々と同じ人間であるという観点である
絶対性に帰依することはどこか依存的になりがちであるが、「我思う、故に我有り」的に自分=主体性をしっかり見つめて、実存的に思考をすることが大切なポイントであると感じさせられた
民主主義
10年ほど前、上智大学の近くの書店で
単行本を購入した。新幹線の中で読んだ。
即身成仏と先祖崇拝は、両立するのでしょうか。
単行本を購入した。新幹線の中で読んだ。
即身成仏と先祖崇拝は、両立するのでしょうか。
人間の弱さも兼ね備えた人間として読む
本書は基本的に法華経の解説本である。
著者独自の視点から見て、釈尊の考え方や感覚を現代哲学や物理学から比較していくものとなっている。特に時間論、迷い、悟り、縁が語られている。また、著者の人生を振り返って法華経にあてはめるようなところが散見する。
「偶然なものは何もなく、全ての物事には意味ある」ような類のことは、普通の知識人であれば信じていることであっても、公表するのにちょっと憚れるだろう思う。しかし、著者は縁として、極めて素直に感じたものとしてとらえる。また、世間には矛盾や不条理が満ちている。それならば著者のように楽観的に仏の加護をそこまで信じるには、ちょっと無理があるようにも思われるが、それを自分の経験から語る。
ただ、著者は斉藤貴男の本などを読むと、やはり基本的には全体主義やファシストの亜種のキャラクターでありつつも、汚職の仕方はセコイ、改革の仕方が汚い、えげつない、弱いものいじめ・・・というか矛盾や不条理とは君のことかねと言う感じがするほどであり、銀行問題もどうも身勝手でさらに、自分がやったのに人のせいにするやり口はあいかわらず。とくに法案作成前の都民による審議は取り巻きで固めて反対意見が出ないようにしているのに民意だとするやり口の胡散臭さはぬぐえない老齢のスーパースターなのだが、本書を読むと、ある意味頑固でやっぱり感違いして威張っているという印象をもちつつも、しかし何かよすがにすがりたい人間の弱さも兼ね備えた一人の人間であることが理解できる。また、それが信条・信念を頑なに持つことができるこの世代の日本人の一人なのかもしれないと思わせるものが確かにある。
ただ、やはり知識人として学者のように抽象的還元(公理的思考)によって全体性を思考して、それを全ての人、一般に当てはめようとしたり、身近な友人や家族の例をやはり無理に世間一般として解釈する傾向も本書から伺えるので、もう少し庶民生活の現状に肉薄するような視野の広い解説を法華経の解説においても望みたい気もする。しかし、法華経そのものの性格が、庶民から離れた、ある意味広大無辺の宇宙の仏教的解釈という、知性的で、落ち着きややさしさとは別の、反省無用の外向的な仏教の内容だから物理学と相性がよく、時間論哲学との相性もことさら良い、著者との相性もこの教えは良いということも本書からわかる。
著者独自の視点から見て、釈尊の考え方や感覚を現代哲学や物理学から比較していくものとなっている。特に時間論、迷い、悟り、縁が語られている。また、著者の人生を振り返って法華経にあてはめるようなところが散見する。
「偶然なものは何もなく、全ての物事には意味ある」ような類のことは、普通の知識人であれば信じていることであっても、公表するのにちょっと憚れるだろう思う。しかし、著者は縁として、極めて素直に感じたものとしてとらえる。また、世間には矛盾や不条理が満ちている。それならば著者のように楽観的に仏の加護をそこまで信じるには、ちょっと無理があるようにも思われるが、それを自分の経験から語る。
ただ、著者は斉藤貴男の本などを読むと、やはり基本的には全体主義やファシストの亜種のキャラクターでありつつも、汚職の仕方はセコイ、改革の仕方が汚い、えげつない、弱いものいじめ・・・というか矛盾や不条理とは君のことかねと言う感じがするほどであり、銀行問題もどうも身勝手でさらに、自分がやったのに人のせいにするやり口はあいかわらず。とくに法案作成前の都民による審議は取り巻きで固めて反対意見が出ないようにしているのに民意だとするやり口の胡散臭さはぬぐえない老齢のスーパースターなのだが、本書を読むと、ある意味頑固でやっぱり感違いして威張っているという印象をもちつつも、しかし何かよすがにすがりたい人間の弱さも兼ね備えた一人の人間であることが理解できる。また、それが信条・信念を頑なに持つことができるこの世代の日本人の一人なのかもしれないと思わせるものが確かにある。
ただ、やはり知識人として学者のように抽象的還元(公理的思考)によって全体性を思考して、それを全ての人、一般に当てはめようとしたり、身近な友人や家族の例をやはり無理に世間一般として解釈する傾向も本書から伺えるので、もう少し庶民生活の現状に肉薄するような視野の広い解説を法華経の解説においても望みたい気もする。しかし、法華経そのものの性格が、庶民から離れた、ある意味広大無辺の宇宙の仏教的解釈という、知性的で、落ち着きややさしさとは別の、反省無用の外向的な仏教の内容だから物理学と相性がよく、時間論哲学との相性もことさら良い、著者との相性もこの教えは良いということも本書からわかる。
私の読書メモ
宗教にあこがれるも、心から信じられない私。宗教心とは何か・・・探訪の際に出会った本。
私、般若心経、そらんじてます。でもそこで終わり。
世界の哲学ともいえる仏教にもっと近づきたいのです。
仏教が広まったら、今より平和になりますね。
別に平和が絶対的な価値を持つとも思いませんが。
私、般若心経、そらんじてます。でもそこで終わり。
世界の哲学ともいえる仏教にもっと近づきたいのです。
仏教が広まったら、今より平和になりますね。
別に平和が絶対的な価値を持つとも思いませんが。

A石原氏は相当の父親想いFather Complexである。父が強い家父長で豪快かつ繊細な人柄であったこと、氏が高校生の若いときに企業戦士して壮絶な死に方をしたこと、死後の家族の苦労などが強烈な印象・ショックとして心に刻まれ、氏の人生観に大きな影響を与えている。また、幼い頃から社会に出て活躍し、癌で凄絶な死に至るまで密接に苦楽を共にした弟裕次郎への想いも強い。それらの想いがベースとなって、血縁・血族の結びつきに強い愛着を抱くに至ったと思われる。本書はそうした氏の人柄を裸にして見せている。
B釈迦が唱えた実相=認識方法論は、氏が言うような仏教唯一のものではない。法華経の十如是の認識方法はギリシャ以来の西洋哲学・自然科学の方法論と変わらない。デカルト方法序説とアインシュタイン相対論を合わせ考えれば十如是と同じだ。
自然科学が真理を解き明かすことを否定しているが、氏は自然科学の成果(宇宙科学や量子論)によって自らの説明の裏づけとしている。
心理学や精神分析学や脳神経医学は心の有り様を着実に解明しつつあり、死生学は死に対する人の心の変化を上手く一般理論化している。
自然科学も絶対真理への到達は為し得ないと思うが、真理へアプローチする方法論としては、法華経以上の価値と内容を持っている。
C本書は独特の主張であり、分かり易く正しい部分もある一方、独善的で誤った部分を含むが故に、それを対照として読者を客観的にさせ、考えを正しい軌道に乗せて行く材料として役立つ。
D在家仏教礼賛は票の為?